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まず、水戸サポーターに対し「おめでとう」と言わせて頂こう。
いつか、水戸には敗戦を喫する刻が来ると思っていた。今季の過去2戦を振り返っても、計6発を浴び、「水戸とは撃ち合いになる」というイメージが脳裏から捨てきれなかった。
そのためか、尚更「締まった試合を」と、プレビューで書かせて頂いた次第ではあったが。。。
確かに、仙台守備陣のミスに原因があった。明らかに、ここ4連勝中の内容からはかけ離れた、別なチームのような有様。だが、そこをしっかりと突いてきた、FW荒田のゴールハンターとしての嗅覚が、仙台が見せた「一瞬の隙」を見逃してはくれなかったという事である。
大変悔しいが、今節の水戸の戦いぶりは、勝利に値するものである。また逆に、今節の仙台の戦いぶりも、敗戦に値するものと言える。
3戦連続で、同じ相手に3失点も喰らったチームは、仙台としては初めてではないだろうか。
ただ、仙台も、よくチャンスは作っていた。クロスバーやポストに嫌われながらも、攻撃陣は2得点を奪ってみせた。梁の3戦連続となる先制点は、このまま逃げ切りでの勝利すら予感させたものではあったが、よもや、湘南戦で相手チームに対して味合わせた「後半ロスタイムの悲劇」を、翌節すぐに、自分たちが味わう事になろうとは、夢にも思わなかった。
まさに、「明日は我が身」である。
今節へ向け、実際には観ていないが、練習場での雰囲気は良かったと聞く。だが、そこに落とし穴があったのかもしれない。確かに、連勝中という事もあり、ナーバスになる必要はなかったかもしれないが、それでも、福岡戦に向けた際の「ピリピリ感」までには至ってなかったのではないか。
こういう試合を見せられると、どこか「気の緩みがあったのではないか」と言われても、仕方のない事である。
前半42分、せっかく、梁の3戦連続先制弾で調子に乗り始めた矢先、僅か2分後に、自分たちのつまらないミスから失点を喫する事になろうとは。
思い返せば、あの失点が、水戸に逆転への勇気を与えてしまったのだろう。
今節の敗戦により、残り7試合、仮にどれだけ連勝を積み重ねようとも、決して気の緩みは許されない事を、改めて認識した。
大事なのは、残された試合を、どのように過ごすか、だ。
この時期は、過ぎた試合を過度に振り返っても、それを反省材料に何かを大きく変える事など、もう不可能な時期でもある。できる事は、ここまで積み重ねてきたものを無駄にせず、焦れずに、自分たちのスタイルを貫くサッカーをする事しかない。
一部からは、「だからあの監督は」とか「もうあの選手はいらない」とか、愚痴・不協和音も聞こえてこないではない。
サポーターの一人として、これらの話が出る事に大変残念に思っている。以下、しばらくは、筆者である私個人の見解である事を、先に申し付けさせて頂く。
「それ」を語るのは自由だ。それを止める権利は、私にはない。
しかし、それを口にしたところで(もしくはネット上の掲示板などに書き込んだところで)、一体、何になると言うのだろうか。
完全に部外者で、仙台の行く末を案じている訳でもなく、100%「対岸の火事」という目線で観られているのなら、かのようなご意見も、甘んじて受けよう。
だが、それを発するご本人が、こちら側の人間(=仙台サポーターを自負する者)であるならば、それを発する事により、同じチームのサポーターに、心中穏やかにならない揺らぎを与えてしまう事に、気が付いて欲しい。
人間は、元来、好き勝手な存在である。己の欲求を満たすためなら、例え他人が傷つこうと、お構いなしにそれをやってしまう。多かれ少なかれ、或いは大なり小なり、如何ような場面でも、起こり得る事である。
だが、それも「限度」というものがあるのではないか?
もし、「赤の他人同士」であるならば、例えそういうシチュエーションで、相手が気に入らない事を言ったとしても、その人とはある意味で「一期一会」であり、その事を忘れてしまえばそれまでである。
しかし、その相手が、仮にも職場の人間・もしくは同じ目的を持った同志という存在であるならば、少なからずも、何らかの親近感を覚えるものであるが、そういった相手に対して放った言葉は、相手に対して、以外にも大きく受け止められる事がある。
言葉の持つ力は、大きい。私は「言霊」の持つ力というものに、全くの否定の念を抱ききれない。
戦乱の時代をとうに過ぎ、暴力を否定する平和な世の中において、人々がエネルギー発散の場を求めやすいのが、プロスポーツなどの応援による「代理戦争」である。戦争であるが故に、「勝てば官軍」「負ければ賊軍」で、負けた事に対しては、理由を問わず、責任の所在をどこかに見つけたくなるものであり、先に述べたような愚痴や不協和音が出てくるのは、至極当然の事である。
だが、だからこそ「身内」に与える影響というものを、しっかりと認識し、自らが発する言葉には、責任を持って欲しいと、切に願う。
恐らく、言っている本人は、そんな事など気にせず、言いたい事をただ羅列しているだけだろう。自分の発する言葉など、どうせ誰の気にも止められない、と、勝手に決め付けて。
しかし、それを「聞きたくない」人たちも、実際に存在する。まして、ネット上の掲示板も含めた「公の場」において、気持ちの良い会話をしたいために「その場」に来ているのに、聞きたくもない話を聞かされては、たまったものではない。
しかし、その「聞きたくない話」に対して、それに反論する事には「意味がない」事も判っているし、なれば、その場を穏便にやり過ごそうと考えるしかないのである。そして、そこに残ったものは、「それを聞かされた者の中に残る、悔恨の念」だけとなる。
例え、仲間内でローカルに話している事であろうと、ネット上のローカルな掲示板であろうと、そういう話をする意識を持つ人たちがいる限り、そういう想いや念は、色々なものを伝搬し、チームや選手に伝わってしまうものであると信じている。
今、筆者が切に願うものは、チームに目の前の残された試合に集中して欲しいため、それを応援するサポーター自らが、どのようなシチュエーションであっても、常に周辺への影響を考え、責任のある発言と行動をして欲しいという事である。
それができない者には、どのような団体にせよ、そこへ所属する資格は無いと思っている。
今、改めて、仙台というチームに求められているものは、7戦勝利無しを受けて福岡戦に臨んだ、あの気迫のある意気込み。
そして、仙台のサポーターに求められているものは、それを静かに見守り、チームを信じて応援する気持ちを捨てない意志の強さ。
どちらも、置かれた立場は、非常に苦しく、ともすれば、文句の一つも言いたくなる、辛い状況にある。それは理解できる。だが、こういう状況だからこそ、お互いを信頼し、耐え抜く努力が必要なのではないか。
大丈夫だ。7戦未勝利のどん底の状況から、ここまで這い上がってきたではないか。それを思えば、この水戸戦の敗戦によって、もう一度、一ヶ月前の「原点」に立ち返り、再び上り始めてくれる事だろう。
チームやコーチ陣と、労苦を共にするからこそ、昇格を達成した時の喜びもひとしおのはずだ。
チームが苦しんでいる時に、自分の憂さを晴らすために文句を言う事ばかりに腐心する者には、チームが勝った時、チームが昇格を果たした時に、その喜びを共有する資格は無い。少なくとも、筆者はそう思っている。
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