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本来なら、このカードは「3月12日(土)」の、ホーム開幕戦のカードだった-。
あの頃の名古屋は、ACL での戦いが既に始まっており、リーグ開幕戦も含めて「公式戦未勝利」という、かつ内容的にも極めて不調の状態で、彼らを仙台に迎えるはずだった。
当時、マルキーニョスを擁する仙台が、不調から脱しきれない名古屋を相手に、どこまで通用するサッカーを見せてくれるのか。もしかしたら、名古屋から初の勝ち点を獲れるんじゃないか。あわよくば・・・・
・・・・などと、「獲らぬ狸の」を脳裏で描きながら仕事をしていた頃、いきなり「14時46分:あの瞬間」がやってきたのだった。。。
そして、あれから3ヶ月半以上が経過し、震災当日は雪が降っていたのが嘘のように、ここ連日は、大雨や酷暑が宮城県域を襲い、梅雨だというのに、もう夏場入りの兆しさえ見せている。
地元紙の河北新報に目を落とせば、今でも毎日のように、「あの日、あの時はどこで何が起きていた」等々の記事を見かける。あの大震災は、現地で関わった、全ての人の人生と歴史を、大きく狂わせた。それを全て、紙面で書き切る事は出来ないだろう。
あの日に狂わされた、みんなの人生の歯車。その時計の針を再び合わせようと、みな、必死になっている。それは、貴方も、筆者も、基本的には同じ境遇・同じ立場だ。
そして、本来予定していなかった7月に、あの大震災の翌日に予定していた、第2節から第6節までの5試合のカードを消化する事になった。今節は、その初戦にあたる。
前節に、今季の初敗戦を喫した事や、ここで延期になっていた5試合のカードを迎える事などを含め、仕切り直しの一戦として見るには丁度良いタイミングか。
折しも、あの氣志團が「スタンディング・センダイ」を引っさげてのユアスタへの登壇も予定。震災が無ければ、実現しなかったであろうイベント。楽しみにしている、その反面、彼らがここへ来てくれる事になった、その経緯の根幹を思えば、とても複雑な気分にもなる。
でも、その経緯をも含めて、私たちサポーターの歴史の一部だ。
氣志團が来てくれる事になったのは、決して、宣伝行為でも営業活動でも何でもない。純粋に、私たち仙台サポーターを応援し、励ましに来てくれるために決まったミニライブだ。
この大震災を受け、彼らなりに出来る事を必死で考え、そして、こういった形で「縁」があり、一緒にスタンディング・センダイを唄える事になったのだ。その心意気と行動が、どれだけ嬉しいと感じた事だろうか。
唄一つで、私たちは1人ではない事を実感できる。その事は、普段からのチャントや応援歌などで、私たちがスタジアムで日頃から感じている事と、何ら変わりはない。
当たり前の事を、当たり前の事として過ごせる事が、実は、どれだけ有り難い事だったか。それを実感するには、氣志團が来てくれる事になったこの名古屋戦を、無事に開催できる運びとなった事に対し、「ここまでの道程は決して楽なものでは無かった」事を噛み締めながら、試合と、そして彼らのミニライブを、大いに楽しみたいと思っている。
さて、この一戦へ向けた両チームの状況を見ると、ポイントこそ違うが、それぞれ主力選手を欠く事になった。
名古屋は、前節の負傷の影響で、GKの楢崎が出場できない。そして今節、名古屋でGKを務める事になりそうなのが、高木義成である。
忘れもしない、2006年7月12日の東京ヴェルディ戦。ミッドウィーク開催のナイターで、ヴェルディ側のGKだった高木の自陣FKが、当時、仙台GKの高桑の手をすり抜け、そのままゴールに吸い込まれるという「事件」があった。
仙台の歴史を知る者であれば、誰しもが語り草にする一戦である。
その後、仙台がJ1に再挑戦する事となった2010年に、東京ヴェルディから名古屋へ移籍し、「J1個人昇格」を果たして、現在に至っている。
仙台に現在所属の選手の中には、あの「事件」を知る者も少なくなった。あの試合でベンチ入りした選手で、現在も在籍しているのは、梁・関口・菅井の3名だけだ。あれから、早や5年。仙台としても、選手が大きく入れ替わった事を実感する。
そして、この3名は、現在もバリバリの先発陣、、、と言いかけたところで、関口が「チーム不和行為」によって自宅謹慎中。相手の名古屋が、正GKの楢崎を欠く一戦を迎える中、試合勘の乏しい高木を相手に、天才ドリブラーを欠いて臨むのは、攻撃面を考えると、大きな痛手となる。
しかし、好材料も。休養充分のチョ・ビョングクがセンターバックに復帰濃厚で、頼れる守護神が、仙台のピッチに帰ってくる。ホームのガンバ大阪戦を最後に、負傷離脱していたが、この間の3試合は1勝1分1敗と、完全に五分の成績。ビョングクの復帰で、再び、勝ち点の上昇気流に乗れる事を願って止まない。名古屋の攻撃陣は、高さもスピードもあり、対戦する相手はどこも手を焼いている。自陣ゴール前で、ファウルを出来るだけ貰わずにディフェンスできるビョングクの復帰は、関口欠場の不安を補ってくれる材料としても充分だ。
そして、その関口の穴は、太田と松下、そして柳沢で、充分にカバーできると見込む。予想としては、名古屋の攻撃陣を相当に下がってディフェンスしなければならないシーンなどの必要性から、松下を先発で起用し、後半の勝負どころで太田と柳沢を起用する案が有力だろうか。それとも、前半から「前線でのタメ」を持たせて攻撃の糸口を掴むため、柳沢を継続して先発起用するだろうか。いずれにせよ、2トップの一角、もしくは1トップは、赤嶺の継続起用でファイナルアンサーだろう。
だが、この試合で大事な事は、「いったい誰が先発で出てくるのか」ではなく、「例え敗戦のあとでも、きちんと、誰が出ても品質の落ちない仙台のサッカーを貫けるか」というところにある。
その点において、もはや「関口の先発継続」という一択の選択肢ではない。選手層が厚みを増した事によって、ここからも続く夏場の連戦でも、主力の選手を休ませながら戦う事が出来る、この強みは大きい。我らが指揮官も、その辺の事情を考慮して、甲府戦で関口を先発から外す決心をしたのだと思う。
方々から得られる情報を整理すれば、その辺の事情や判断を、関口自身が、ちゃんと理解出来ていなかったのかもしれない。
あの震災後、自らも個人で被災地へ赴き、自身のスパイクにもメッセージを入れ、自分が先発で出続けて頑張らなければと意気込み続けてきたところへ、甲府戦での先発回避の令。確かに、彼の運動量や守備貢献を考えれば、先発回避は非常に勿体のない選択肢だったかもしれない。だが、チーム全体の事を考えて決断した指揮官に異論を挟み、更には、今季大勝を収めた甲府戦後の態度の悪さが表面化した事によって、自宅謹慎の身となってしまった。
その、関口選手へ。
気持ちは、痛いほど理解できる。
だが、震災後、貴君も学んでいたはずだ。「人間、1人では何もできない。そして人間は、決して1人ではない」と-。
ある意味において、「サッカー」と「震災後の復旧・復興」は、同じものだ。何故なら、「どちらも、1人では決して出来ない事」だからだ。
人間は、時には誰かを助けながら、時には、自分を助けて貰う番が来る。
もしかしたら、関口は「自分のプレーが、誰かの助けや励みにならなければ」と、先発出場の継続を、強く望み過ぎてしまってはいなかったか?
時には、「誰かに助けて貰う」事も、大事な事だと気付いて欲しい。
甲府戦での先発落ちを「もう俺は先発で必要ないのか?」と、誤解しないで欲しい。
今後とも、関口選手を先発で必要とするからこそ、甲府戦では先発を回避し、少しでも疲労回復に努めて欲しかったものと指揮官は考えていたと思う。
その辺を、決して、はき違える事無かれ。
この事を、関口選手に証明してみせるためにも、名古屋戦は、全力で彼らを倒しに掛かりたい。それこそ、試合終了後に立てなくなるほどに。
そして、この後に続く連戦において、休養充分の関口が先発復帰し、そして活躍する姿を、どれだけの廻りの選手やサポーターが待ち望んでいる事だろう。
私たちサポーターは、関口選手が先発出場を繰り返し、そして疲弊していく姿を見たい訳では、決してないのだ。
その事を判ってくれる事を、切に願う。
この試合を、今節も出場を回避する、関口選手のために。そして、彼の「強すぎる想いの源」である、県域の全ての被災地・被災者のみなさんのために。
再びここから、「決して負けない仙台」を-。
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