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夏場に弱い仙台-。
毎年のように、駆けめぐるこのフレーズ。ここ4試合で未勝利、そして、この4試合で僅か1得点という「得点力の超低空飛行」が、そんなフレーズをも思い起こさせてしまう。
僅か、3試合前に、今季初の敗戦を喫した清水を、今季初のナイター開催となったユアスタに迎えての一戦。当然ながら、リベンジする気満々だったと思う。選手も、そしてサポーターも。
だが、結果は周知の通り。確かに、夏場で体力消耗が激しい時節柄、ベストなパフォーマンスで臨めるチームは、決して多くはない。どのチームも、この時期の連戦は、暑さや、怪我人や、出場停止や、移籍の絡みなどで、チーム編成に影響が出てくる。
そんな中でも仙台は、今季はまだ恵まれているほうだ。長期離脱を余儀なくされてしまったDF島川を除けば、主力陣に負傷離脱者は現在皆無で、疲労の程度や、相手チームとの戦術的相性を考慮した、チーム編成が出来る状況にある。
そうであるにも関わらず、仙台は、突如として得点が獲れなくなってしまった。そして、勝てなくなってしまった。
「昨年のように大崩れしていないし、攻撃も数の多少はあれど、ちゃんとフィニッシュまでは持ち込めているから、我慢していれば、また勝てるようになる」
状況を前向きに捉えれば、この一文で、全て表現できてしまう。今は、そんな状況だ。
だが、本当にそれで良いのか?
確かに、昨年と較べれば、大崩れはしなくなった。攻撃もそれなりに機能し、今節も、何度かちゃんとフィニッシュまでは持ち込めており、ゴールが産まれて、勝利を手にしてもおかしくはない展開だった。
しかし、「そんな事」を繰り返しているうちに、既に4試合の未勝利を数えてしまった事もまた事実だ。
おそらく、相手がどこのチームだったかなどは、関係のない話だと思う。
この清水戦を見る限り、、、いや、今季初の敗戦を喫した、前回対戦のアウェイ清水戦からというもの、いっこうに「仙台らしさ」が見て取れないのだ。
カテゴリーが J1 だからとか、J2 だからとか、相手が強いからとか、アウェイだからとか。
何かしら、「判りやすい事」を言い訳の材料にして、仙台らしさを追求するサッカーをする事を、忘れている気がしてならない。
この90分間。正直、不満だけが残った。
このピッチ上で表現されたものは、筆者の見たい「仙台のサッカー」では無かったからだ。
なんか、なまじっか J1 の上位に鎮座し、勝ち点もそこそこ稼げていた事に甘えて、これからもどうにか J1 にぶら下がっていたいからと、「J1 のチームらしい戦い方」を、へんに模索してしまってはいないか?
確かに、今、私たちが居るカテゴリーは J1 だ。そこでの戦いは、毎節のように厳しく、簡単に勝てない試合展開が続いている。そんな中でも、数少ない決定機をモノにして、1-0 など、僅差での勝利を積み重ねた結果、今季は今の位置に居られる。それは間違いのない事実だ。
だが、何か一つ、忘れてはいないだろうか?
3月11日、東日本大震災-。
この震災の影響によって、数多くの尊い命が犠牲になった。そして、残された私たちサポーターと、選手は誓った。サッカーを通じて、全力で今季の J1 をプレーし、そして応援すると。その姿を通して、被災者、被災地に、勇気と希望を届けるんだ、という事を。
はっきり言う。
夏場だからと、運動量や気迫の面で、手抜きをしていないか?
これは、コーチ陣の戦術的なものや、選手個人の体力的な感覚を全て総合しての話だが、正直、今節の清水戦では、そういった部分が、大きく欠落してしまっているように思えた。
実際、4得点の大勝を収めたホームの甲府戦では、それが出来ていたではないか。
ああいうプレーが、どうして、突然に出来なくなったのだ?
もちろん、この時期に、90分を通して、運動量を豊富に繰り出す事など、相当に厳しい事は判っている。連戦でもあり、常に、次節の事を考えた、選手起用や、プレー時間の配分、そして戦術など、年間のトータルを考えての事だという事は、百も承知している。
だが、それでも、何かが物足りなく感じた。
そして、この、筆者の感覚と同じものを持っている選手は、おそらく、関口選手だけのような気がしている。
確かに彼も、今節は出場はしたが、あまりにも時間が無さ過ぎた。あれでは、活躍しようにも無理だ。
むしろ、中原を投入した時間帯に関口を投入し、そして、関口を投入した時間帯に、中原を投入するべきだったのではないだろうか?
いやいや、戦術的な事は別として-。
今季の仙台は、被災地・被災者に、勇気と希望の光を届けるようなプレーを信条として戦っているんじゃなかったのか?
もっと、必死になって戦って欲しい。もちろん、今でも充分に必死さは出しているものと思うし、それを認められるプレーも無かった訳ではない。
でも、2ヶ月、3ヶ月という時間が経過するにつれ、少しずつ、その意識が小さくなっていってはしないだろうか?
今一度、選手やコーチ陣が全員で、被災地・被災者の元へ支援に行き、そして復興活動の一助を担えば、思い出せるのではないだろうか?
4月23日、アウェイ川崎戦。
あのとき、あの試合に臨んだときの気持ちと同じものを、選手、そしてサポーター共に、もう一度思い起こす事こそが、今この、4試合未勝利の低迷状況を打破できる、唯一の「心の行動」だと思う。
足なんか、いくら痙ったっていい。
試合が終わったとき、ぶっ倒れる選手の一人や二人くらい出てもいい。
J1 とか、J2 とか、そういう問題じゃない。
目の前の、たった一つのゴールを奪うために、もっと必死にならなければ駄目だ。
意識を変えなければ、意識を変えて行かなければ、おそらくこの先も、ゴールは簡単には産まれないだろう。
「惜しいシーンが多かったね」
「次は決まるんじゃないか」
そんなものは、まやかしだ。おそらく、今のこの状況が続けば、この先もゴールが、1点が遠い展開は続くだろう。
どのチームも、必死になってゴールを奪っている。
そして、仙台は、仙台なりの「必死さの追求」というものがあるのではないだろうか?
4試合で、僅か1ゴール。この時期の選手たちのプレーから、少しずつ、「背負っているものの重さ」が外れていっている気がしてならない。
昨年からの、チームの成長を踏まえて、もう少し我慢して状況の推移を見守ろうという意見は、相当に多いと思う。そして、それは決して間違いではない。そこを否定する気は、筆者には微塵も無い。
だが、現在のチームに、今ひとつ欠けている「仙台らしさ」。そして、特別な年である今季、「背負っているものの重さ」(自分たちで背負うと決めた重さなのだ、今更、荷が重かったとは言わせない)を、今一度、再確認して欲しい-。
そして、筆者が思うに、それをピッチ上で、今すぐに表現できる選手は、関口を置いて他に居ない。
手倉森監督、お願いだ。
関口を先発復帰させて欲しい。
今の彼なら、必ず、期待に応えてくれると思う。
夏場のこの運動量の厳しい時期に、運動量の怪物のような関口を先発で使わないなど、愚の骨頂であり、仙台のストロングポイントの一つを、自ら捨てているようなものだ。それに彼は、スーパーサブとして活躍できるタイプの選手ではない。
もし、未だに「チームの和を乱した」件の懲罰の延長線上で、今だに関口をベンチスタートさせているのだとしたら、それは時期的に、「既に無意味だ」言うほか、言葉が見つからない。
それとも、なにか?
まだ、他の選手に示しが付かないから、関口を未だにベンチスタートさせているだけなのか?
そこも含めて、他の選手に説明をし、説得をするのが、監督としての役目だろう。
関口が「チームの和を乱した」とき、貴方は、勇気を持って、関口を先発から外し、謹慎処分とした。
であれば、今度は「今こそ関口の力が必要なんだ」と、他の選手を説得してでも、勇気を持って、彼を先発復帰させるべきだ。
もちろん、関口自身が、先発出場に拘るあまりに、少々勇み足が過ぎた行動だった事は、確かに反省するべき材料だ。
だが、その件の「御祓」は、もう済んでいるのではないのか?
今ここで、彼を先発で使わなければ、仙台はきっと「後悔」する事になる-。
そんな気がしてならないのは、筆者だけの思惑だろうか。
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