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もはや、今季のスローガンである「挽回」というキーワードを口にする事さえ憚られる様な、あまりにも情けない負け方で4連敗を喫した仙台。またもアウェイの地での敗戦を喫し、これで、アウェイ未勝利は15に記録を更新。丸々1年間、アウェイで勝てない事が確実となった。
序盤から、全く覇気が無かった。攻撃でも守備でも、広島に1歩も2歩も出遅れてしまい、見どころのほとんど無い一戦。記憶に残っているのは、前半開始の序盤に、この一戦で活躍を期待した、FW金園の「反転シュート」くらいか。あれが決まっていれば、試合の流れはまた違ったものになっていたかもしれないが。
前節の鹿島戦も、今節の広島戦も、結果的に、相手に2点先行を許す展開を強いられた。前節の鹿島戦でこそ、期待の金園にゴールが産まれたため、今節はその金園に期待が寄せられての先発となったが、前述したシュートシーン以外に見せ場はなく。むしろ、チャンスメークのためにいちいちサイドに流れるウイルソンのほうばかりが目立った。
ここ数試合、常に疑問が生じていた。「どうして決定力のあるウイルソンが、サイドに流れてしまうのか?」その答えは、既に出ている。ウイルソンでないと、サイドでタメを造ってのチャンスメークがままならないからだ。ウイルソンに、「サイドに流れるな」とは言わない。決定力ある選手のポジションチェンジは、相手の守備の攪乱にも繋がり、攻撃のバリエーションの一つとなり得る。だが、現状の仙台の場合は、ウイルソンのように、サイドでタメを造ってチャンスメークできる選手に乏しく、ウイルソン自身、「中で待っていてもラチが開かない」と、仕方なく、自分自身がサイドに流れてチャンスを造っている様にしか思えない状況だ。正直、ここ何試合かは、ウイルソン以外の選手が、サイドからチャンスメークをした、という記憶がほとんど無い。
だが、しかし。
事ここに至っては、得点出来ない、勝てない、その原因が「ウイルソンがサイドに流れるから」などと言う、枝葉的な要素が主因とは考えにくい。それを、渡邉監督の試合後のコメント中から読み取ってみた。以下は、河北新報社のサイトに記載された、仙台の試合記事からの抜粋である。
『ホームで勝利に焦り過ぎた前節鹿島戦の反省から「勝ち急がない」をテーマにした。「その言葉が選手にブレーキをかけてしまったかもしれない」と監督が首をかしげるほど、攻守に迫力を欠いた。』
上記は、あくまでも監督の主観によるものだ。だが、そこから見てとれるのは、「監督の言葉に左右され過ぎる選手たちの自信の無さ」である。
自分たちのやるべきプレーを、きちんと体得し、それをいつでも表現できるベースがあるのなら、監督の意向や説明は、あくまでも「ベースの上に乗せるエッセンス」の意味合いのはずだ。ところが、「勝ち急がない」という監督の言葉を、まるで「戦い方のベースを変える」かのように捉え、「勝ち急がない=プレーの一挙手一投足にブレーキを掛ける」的な解釈をしたかのように、鹿島戦で出来た戦い方が、この広島戦では、全く出来なくなっていた。
これはおそらく、勝っている、もしくは負けていない時期には、起こり得ない現象だろう。だが、連敗街道まっしぐらの仙台にとって、選手たちは、一様に自信を無くしているはずだ。そこへ、監督が「ああしよう、こうしよう」と言えば、それを必要以上に「真に受けて」しまい、それが、自分たちの持っている戦い方やプレースタイルそのものにも、ダイレクトに影響してしまっている可能性は、多分にあると思っている。これはある意味で、「負のスパイラル」だ。
繰り返しになるが、何が悔しいかと言えば、「鹿島戦で出来ていた戦い方」が、なぜ、この広島戦で出来なかったのか、の1点に尽きる。
筆者が期待していたのは、鹿島戦で、得点にこそ至らなかったものの、前半43分の被セットプレーで失点するまでの戦い方は、選手に躍動感が見られ、いつゴールが決まってもおかしくない雰囲気が漂っていた、あの「覇気あるプレー」をベースとし、そこに、金園の先発というエッセンスを加える事による、ゴール達成への期待感だった。
筆者は、あの試合で「現状の仙台に足りないもの」を、金園のゴール前での決定力と読み解った。つまり、「金園の先発=勝つためのエッセンス」のはずだった。だからこそ、広島戦での金園の先発が発表されたときは、大いに期待した次第だった。
ところが、いざその蓋を開けてみると、金園の先発とは関係なく、チーム全体が、まるで松本山雅戦のときに戻ってしまったかのように、各々の選手から、プレーの一つ一つに対する躍動感が消え、ただただ、鹿島のいいようにやられ続ける、情けない姿しか観られなかった。
そして、前半37分に、広島の野津田にスーパーミドルを決められた瞬間、「ああ、松本山雅戦の頃に逆戻りだ」と思い、同時に、この試合でも勝ちきるのは相当に難しいと考えた。
逆に、仙台が勝てない理由の一端を、広島戦での失点のシーンから読み取ってみる。と言っても、「失点した理由の追及」ではない。その逆で、野津田や浅野に決められたような得点シーンを、なぜ仙台は創り出せないのか、という観点である。
1失点目は、前半37分、野津田に決められた失点のシーン。広島は、仙台の守備のスペースを突く様に、楔の縦パスを入れてきた。そのパスの先には、仙台の最終ライン上に佐藤寿人が、オフサイドギリギリの位置で、仙台の裏へ抜け出そうと動き出していた。
だが、実際にそのパスを拾ったのは、左サイドから侵入してきた野津田だった。野津田はそのパスを、「目の前のスペースに供給されたパス」と捉え、それをそのままドリブルで横に持ち込み、そして、斜めにシュート。ボールは綺麗に、仙台ゴールの逆サイドネットを揺らした。
現状の仙台に、あの位置でボールを貰い、そしてシュートを放てる選手が居るだろうか?また、そういうプレーを見せてくれる選手が居るだろうか?
2失点目は、後半32分。仙台の攻撃のシーンから、広島がボールを奪い、広島のカウンター攻撃が始まるシーン。広島の浅野は、いち早くこれに反応し、味方からのロングフィードが供給されるのを信じて走り出していた。そして、それがピタリと浅野に通り、そのまま浅野はドリブルで、仙台ゴールへ突進。それを止める事も叶わず、そのまま浅野に、綺麗に決まり過ぎたカウンターからの失点を喫した。
現状の仙台に、この浅野のように、カウンターの場面で、味方からのロングフィードが来るのを信じて走り出す仙台が居るだろうか?
その答えは、「どちらも否」だ。
それに比べて、仙台の攻撃は、なんとかパスを繋いで、綺麗に相手を崩してゴールを奪おうとする、まるで「パスサッカー攻撃の基本練習」のようなパターンしかやろうとしていない。言葉は悪いが、「何とかの一つ覚え」の様でもある。つまり、仙台の攻撃には、何の工夫もないのだ。
広島の様に、大胆かつ正確な攻撃のイメージを共有し、連動して動き出し、そして、多少強引でもシュートを放つ姿勢が、仙台には、全く見られない。多少強引という意味では、ルーキーの茂木に、その姿勢が観られる程度だ。
一時期、仙台の攻撃スタイルを「堅守速攻」と評するメディアが多かった。つまり、組織的なブロック守備を敷き、相手の持つボールを前線からチェイスして奪い、そこからカウンターを仕掛け、手数を掛けずにシュートを放ってゴールを狙う、というものだ。
しかし、この表現を、仙台のサポーターが聞いたなら、いったどう思うだろうか?
「ウチ、そんなにカウンター攻撃が得意だったかなぁ・・」
と思う諸氏のほうが、数としては圧倒的に多いのではないだろうか。実際、筆者もそう思っている。
今節、浅野にやられたような、典型的だがあまりにも美しいカウンターからの失点シーンは、とても、現状の仙台が「狙っている」とも「出来る」とも思えない。
球際の強さなんて、プロサッカーでは当然の様に必須条件だ。それが出来なければ、プロサッカー選手になど成れない。それが当然の様に出来たうえで、相手から得点を奪うには、今節に広島に喫した2失点のような、お互いを信じて連動し、そして、チャンスが来れば、多少強引でもシュートを試みる、その積極的な姿勢が必要なのだ。
だが、現状の仙台はどうか?
相手からボールを奪っても、その瞬間に、誰かがカウンターを狙って前線で動き出そうとする選手は皆無だ。そして、それに合わせるようなロングフィードを放り込もうという選手もまた居ない。
仙台に見られるのは、相手からやっとこさボールを奪っても、相手の素早い帰陣の前に、持っているボールを使って素早く攻撃に転じさせる事が出来ず、結局は遅攻を強いられる有様の繰り返しだ。まるで、「ボールを奪う→ボールを落ち着かせる→どこから攻撃するかを時間を掛けて探る」が基本戦術になっているかのようだ。
また、楔の縦パスにしても、今節は武井がボランチに入った事で、いつもと違う流れが見られた。だが、武井の縦パスに反応し切れる選手が前線に居ないため、広島の野津田のように、その楔の縦パスを受け、そこから積極的に、手数を掛けずにシュートまで持ち込もうという選手は、やはり仙台には皆無だった。
あまりにも悪すぎる、選手間の攻撃の連携。同じような攻撃パターンを繰り返し、しかも、「綺麗に相手を崩そう」としかしない。ワンタッチパス等で相手の守備を崩して決定機を狙うのも良いが、そればっかりやっている様にしか見えない。
あれでは、相手に研究される以前の問題で、はっきり言って、仙台の攻撃からは「怖さ」というものが感じられないのだ。同じ事を繰り返すかの様に、完全に身に付いていないパスサッカーに執着し、そして、ミスからボールを失い、逆襲を喰らって失点する。得点が獲れずに失点するから、ミスを恐れて攻撃も消極的になりがち。そして、プロサッカーに必須条件の「球際の強さ」すら出せなくなり、そこからまた失点に繋がってしまう展開の繰り返しだ。
アウェイで勝てていないどころか、ホームでも勝てなくなり、とうとう連敗街道に突入した仙台。もはや、「確固としたベースに、足りないエッセンスを加えれば勝てるようになる」といった、次元の高い話では無くなっている。
いま、大事なのは、少なくともホームの川崎戦や鹿島戦でみせたような、プレーへの自信を取り戻す、戦う気持ちの強さを掴み直す事だ。
更にもう一つ。お互いを信じて連動する、大胆な攻撃を、意識して行う事だ。
そして、これは声を大にして言いたい。
自分たちが喫した失点のシーンから、「自分たちも、ああいう得点シーンを造る事は出来ないだろうか?」と考える姿勢を持って欲しい。
ことわざにもあるだろう。「失敗は成功の元である」と。
サッカーで言うところの失敗は、何も「得点し損ねたシーン」だけとは限らない。失点シーンだって、立派な失敗経験のはずだ。そこを否定する諸氏は皆無だろう。
だが、現状の仙台からは、「得点し損ねたシーン」に対する反省と改善ばかりに執着し、失点シーンから、これを自分たちのものにしよう、という意識や、向上心が全く見られない。
「技術は、相手から盗むもの」
これは、実は筆者のモットーの一つだ。座右の銘とまではいかないが、それに近いものである。
IT業界にて長く仕事をさせて貰っているが、その経験上、相手から「与えられた/説明を受けた」技術は、ほぼ身に付かなかった。むしろ、相手が「見せてくれただけ/特に説明はされなかった」技術のほうに興味を持ち、必死に参考書やネット上の情報を読み取り、自らの糧にしてきた。
IT技術は、それを体得した者にとっては大きな財産だ。それをわざわざ、商売敵に手の内を見せるような事はしない。
だが、サッカーを始めとするプロスポーツは、IT技術と違い、大観衆の目の前で、自分たちの技術をお披露目するのが仕事だ。当然、敵対する相手にそれをぶつける事になる。
必然的に、自分たち攻撃スタイルを相手に見せる事になる。そして、それを他のチームは、徹底的にスカウティングして、その相手の攻略法を練る。サッカーは、その繰り返しだ。
だが、現在の仙台には、相手からスカウティングを受けるほどの攻撃の怖さがない。相手はただ、自分たちの得意とする攻撃を、自信を以て仙台にぶつければ良いだけだ。仙台は、その相手の攻撃の受け身になるしかなくなり、結果、相手の思うツボにハマり続ける。
仙台は、自らの失点を「反省材料」としか見ておらず、それを「自分たちの武器に転じるヒントにする」事を、全く考えていない。
この点について、一つの事例を挙げてみたい。それは、現在得点王のガンバ大阪のFW宇佐美の「とある得点シーン」だ。
4月26日のJ1前期第7節、ガンバのホームで迎えた新潟戦で、宇佐美は後半3分、相手GKの守田のフリーキックの場面にて、背後から忍び寄り、守田が蹴ろうとして落としたボールを、瞬時に背後から掻っ攫い、それをそのままシュートしてゴールを決めたシーンである。
このゴールについて、宇佐美はこう言っている。
「ウチのGK(東口)がやられた失点シーンを見て、自分も狙えるんじゃないかと思った」
と。
得点王街道をひた走る宇佐美でさえ、自らのチームが喫した失点から学び、自らの糧として、それをモノにしてしまおうと考えているのだ。そして、それを実現してしまうあたりは流石としか言いようが無いが、ここで言いたいのは、「対戦相手から学べる事もある」という事にある。
当然、相手の技術を「盗む」には、自らの技術がそれに追従していなければ出来ない。それは、個の巧さであったり、味方の選手同士の連携の良さであったり、その形態はさまざまだ。だが、それを出来るようになれれば、逆の意味で、あらゆる可能性が広がってくる。何故なら、J1の舞台では、日本最高峰の選手たちが、その得点パターンを、惜しみなく、こちらへ見せ、ぶつけてくれるからだ。
仙台が失点を喫するたびに、「なんで仙台は、あんな得点シーンを造り出せないのだろう?」と、溜め息混じりに想うときがある。確かに、相手から喫した失点シーンは、相手の持つ技術が礎になっているものだ。そこからして、完全に盗めるものでは決してないのも確かだ。
だが、見方を変えれば、「これまで失点を喫してきたシーンの中にも、もしかしたら、すぐに仙台が自分たちのものに出来そうなもの」もあるのではないだろうか?
つまり、自らの失点の経験を、そのまま攻撃の教科書としてしまう考え方だ。
現状のチームに、一考を求めたい。
「堅守速攻」型と言われたチームが、堅守も速攻も出来なくなっている現状を。だが決して、どんなに強いチームを相手にしても、持てる力を最大限に発揮すれば、決して負けない戦い方は出来るはずだ。それだけの素養がなければ、チームはとうの昔に、再びJ2に陥落しているはずであり、それが無いという事は、必死になってやれば、どうにかJ1に踏みとどまれるだけの底力はあるものと信じている。
今節、直近の試合でゴールという結果を出した金園を先発させたり、戦線復帰した菅井を先発させたりと、考え得る人事は尽くした。それでも勝てなかった、いやゴールを奪えなかったのは、相手に与える「仙台の攻撃の怖さ」というものの色が、あまりにも薄いからに他ならない。
そこさえ改善できれば、今すぐにでも、結果が付いてくる可能性は、充分にあるものと信じている。
順位こそ13位に甘んじ、勝ち点差では、降格圏の16位に居る山形とは、僅かに1差だ。そして、ここからの2戦は、ホーム連戦のアドバンテージがあるとは言え、現在2位のFC東京、そして、現在首位の浦和が相手となる。当然、彼らはアウェイとは言え、ファーストステージ優勝へ向け、鼻息を荒くして襲来してくる。
だが、決して「守りに入る」べからず。
連敗を喫しているときのセオリーとして、「とにかく失点しない」事を最優先事項に挙げるチームは多い。おそらく渡邉監督も、これだけ連敗が続き、かつ、容易に得点が挙げられないとすれば、連戦で時間が無い事も手伝い、「まず守備堅め」から考えるだろう。そこには、当然のように、DF渡部の出場停止や、DF鎌田の負傷の影響という要素も考慮される。
だが、敢えて。
いま考えるべきは、「守備の再構築」ではない。
今季の長いシーズンを観たとき、いま必要なのは「攻撃に対する自信」だ。そしてそれを、相手に与える「仙台の攻撃の脅威」と昇華させる事だ。
これは、一朝一夕に出来る事ではない。しかし、現状の仙台で持ちうる攻撃の駒にマッチする様な、「仙台らしい攻撃パターン」が見つかりさえすれば、それが相手にとってそのまま脅威となり、相手が仙台の攻撃に対して「構える」様になり、相手をこちらのペースに引き込む事が出来るようになるはずなのだ。
そして、それを実践できるのは、長いシーズンの中で、今この時期しかないのだ。
2010年にJ1に復帰して、今年で6年目を迎える。これまでは堅守をベースとして、J1の舞台にしがみついてきた。だがそろそろ、それも限界に近づいてきている。それは、前任監督の手倉森監督(敢えて、アーノルド氏については触れないのでご容赦)も、現在の渡邉監督も、判っているはずだ。だからこそ、攻撃的なチームへと変貌したく、パスサッカーにトライしている訳であるが、それが未だ、実に成っていないのもまた事実だ。
だが、その過程において、「やりたいパスサッカーばかりに固執する」のではなく、相手に喫した失点からも学び、攻撃のバリエーションを増やそうとする意識も、また必要なのではないだろうか。
それが出来なければ、これからのJ1に生き残る事は、まず出来ないだろう。出来たとしても、毎年のように残留争いを強いられる「万年下位」が関の山だ。
今季の当面の目標は、とにかく残留圏から距離を置けるようになること、つまり「残留争いに巻き込まれるようにする」事ではあるが、その中においても、やはり攻撃のバリエーションを増やす作業は必須だろう。
自らのプライドを棄ててでも、謙虚に、相手から学ぶ姿勢こそ、今の仙台に、本当に足りないものではないだろうか。
目の前の、次の相手が、2位でも首位でも関係ない。
正直言って、長いシーズンを見据えれば、いまこのタイミングで降格圏に陥落したとしても、一向に構わない。だがその引き替えとして、自らの攻撃のバリエーションを増やし、「次に繋がる」何かを掴みとってくれれば、それでいい。
「負けると判っている試合」と決め付けている訳では、決してない。だが、仮に負けたとしても、その中から何か収穫が得られれば良いのだ。それが、次の勝利に近づく糧となるはずだから。
FC東京から、何かを盗み取れ。
浦和から、何かを盗み取れ。
勝敗に関係なく、勇気をもって、チャレンジせよ、仙台。
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