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試合後の勝利監督インタビューの途中で、込み上げてくるものを抑えられず、背を向けて涙を拭く、手倉森監督の姿が印象的だった-。
その気持ちは、痛いほど良く判る。3.11の震災発生後、チームをまとめあげて被災地の支援や関東キャンプの実施、そしてマルキーニョスの退団に伴う戦術の練り直しなど、震災が発生しなければ強いられる事の無かった、数々の試練。
その上、被災地のみなさんに、勝利を以て勇気と元気を届けたいとの想いと、全国から注目される試合であろう事からくる、異常なまでのプレッシャー。おそらく、ご自身のサッカー人生の中で、過去最大の苦難を味わった、あらゆる意味で濃密な、この43日間(3/11~4/23)だったに違いない。
そして迎えた、この4月23日。この日は天候に恵まれず、雨脚の影響でピッチコンディションも悪く、サポーターも合羽などを羽織っての応援となった。しかし、現地に集結した仙台サポーターは2500人との報道もあり、雨の影響など微塵も感じさせない、熱気の籠もった応援を繰り広げてくれていた。
選手入場時のカントリーロードのとき、仙台サポーターのみなが、隣りの人と手を繋いで上に挙げ、連帯感を高揚させてくれていた。「今日は、どこか違う。何かが起きそうな期がする。」そんな予感をも感じさせた、試合前の雰囲気だった。
実際の試合内容は、前半と後半で、ほぼ真逆の展開。前半は、仙台が攻勢に出て川崎を押し込む展開が続くも、なかなか得点に至らないうちに、一瞬の隙から川崎に先制点を与えてしまう流れ。後半は、川崎側の前半の先制点の流れから、逆に仙台が守勢に廻る展開へ。ところが、守勢だったはずの仙台は、少しずつ流れを引き戻しながら機会を待ち続け、そして迎えた後半27分。FW赤嶺からの落としを、右へ流れながらFW太田が受け取り、これをシュート。ボールは川崎DF横山に当たり、ブロックされたかと思った瞬間。ボールは川崎GK杉山の頭上へ跳ね上がるトリッキーな動きとなり、GK杉山が反応した手をもかすめ、そのままゴールイン。
後半28分。川崎1-1仙台、執念の同点弾。
その後、この失点でスイッチを入れ直す必要が生じた川崎は、後半33分、病み上がりのジュニーニョを投入し、仙台の突き放しを画策する。実際、ジュニーニョ投入直後の後半35分~40分の約5分間は、まるで暴風域のような川崎の怒濤の攻撃が続き、仙台は相手陣内にボールを運ぶ事にすら苦労を強いられるようになった。ただその中でも、持ち前の守備の強さを発揮し、極力、川崎にチャンスを与えずに耐え続けた。
その猛攻が少しだけ落ち着いた、後半40分。後半の途中から、ボランチ高橋義希の代わりに入ったFW中島裕希が、川崎陣内右サイドでボールに喰らいつく粘りをみせ、ここでFKを得る。このボールを蹴るのは、もちろん、我らが10番、梁勇基。その右足から繰り出されたボールの軌道は、正確にCB鎌田次郎のヘッドを捉え、そしてそのボールは川崎ゴールの右ポストの内側を豪快に叩きながら、ゴールに綺麗に吸い込まれていった。
後半42分。川崎1-2仙台、殊勲の逆転弾。
前半のうちに先制点を許しておきながら、決して自信喪失に陥らず、後半の川崎の猛攻を耐え続け、必ずしも多くはなかった得点機を見事にモノにし、あと3分というところで逆転に成功した仙台。あとはもう、大人のサッカーで、ロスタイム3分が経過するのを待つだけとなった。もちろんこの間、チャンスがあれば攻撃に転じ、3点目を狙う姿勢を見せた事も評価したい。守ろうとして引きすぎた結果、相手の攻勢を呼び込んでしまい、結果的に2点差を引っ繰り返された、昨年8月1日の同スタジアムでの敗戦が、今だ脳裏に焼き付いていた筆者としても、この仙台の「リードしている試合の終わらせ方」の成長ぶりには、感慨深いものを感じた。
そして、試合終了を告げるホイッスルが鳴り響いた瞬間。仙台の選手とともに、現地に馳せ参じたサポーター、そして、一番町のいろは横丁にも詰め掛けたPVサポーターの喜びが爆発。直後の勝利監督インタビューのシーンで、冒頭で記載したような状況に至っている。
なお、同点弾を決めたFW太田は、シュートを撃つ瞬間までのプレーの影響により、足を痙ってしまったらしく、そのままピッチアウトし、選手交代となった。それにしても、撃ったシュートが相手DFに当たって軌道が変わったり、逆転弾を決めたDF鎌田がヘッドで撃ったボールが、川崎ゴールの右ポストに弾かれる事なく枠内に吸い込まれてくれるなど、「普通なら入るとも思えない」ような、奇跡的なゴールの決まり方だった。こんなゴールが決まるあたり、やはり選手やサポーターの執念というか、想いというものが「乗った」結果なのだろう。そう信じたい。
それにしても、本当に待ち侘びた、この43日間だった。「あの日」に止まった時計の針が、この瞬間から再び動き出したと言っても、過言では無いだろう。
正直、相手のポテンシャルの高さや、相手のホームである事を考えると、「勝てる見込み」を、必ずしも大きく感じていた訳では無かった。ただ、気持ちの籠もった試合を、最後まで諦めないプレーを見せてくれれば、それで充分に、待ちに待ったサポーターや被災地のみなさんに、勇気と元気を届けられるのではないかと思っていた。
しかしこの日は、本当に、本当に最後まで諦める事なく、逆転勝利を信じて戦い抜いてくれた選手たちが、自力で勝利をもぎ取ってくれた。まさしく、諦めなければ、最後には報われるんだとという事を、身を以て体現してくれたのだった。
NHKの衛生放送で全国に生中継されたこの試合は、いつも以上に感心を持たれて観戦された方も多い事だろう。文字通り、ベガルタ仙台はこの日、地元の被災地のみなさんに、そして全国に向けて、「ありがとう、私たちは大丈夫だ」という、暖かい支援に対するアンサーメッセージを送る事が出来たに違いない。
戦前を振り返れば、この試合に向けては、ホームとなる川崎側のご配慮により、様々なイベントや特別措置があったと聞く。その中で何より嬉しいと感じたのは、通常、J1の試合では、ホーム側とアウェイ側のコンコースやスタジアム内の座席間は「緩衝地帯」を設け、行き来出来ないようにしているのだが、川崎側サポーターの強い要望により、この試合でのみ、全ての緩衝地帯の設定を無くしてくれたそうだ。そのため、川崎側サポーターが仙台のグッズを買ってくれたり、お互いのサポーター同士の安否確認や挨拶など、いつも以上の交流が実現できたそうである。
リーグ再開の初戦が、川崎であった事を、本当に嬉しく思った。
こうして、Jリーグの再開初戦である川崎戦は、その幕を下ろした。この試合へ向けた、ここまでの道程を考えると、後世に語り継ぎたい、記憶に残る一勝と言えると思う。
だが、みなさんもご認識の通り、本当の戦いはこれからが本番なのだ。あくまでも勝負事である以上、勝ち点を積み上げられなければ、再びJ2降格の憂き目に遭う。どんなに暖かい支援を頂けたとしても、勝ち点の積み上げによる順位決定というルールがある以上、仙台にアドバンテージは与えられない。J1の生き残りを賭けた戦いの舞台では、どのチームも平等だ。
まだ、先の長い「最低限、今季もJ1残留」という階段の、一段目を上り始めたばかりだ。次の「二歩目」でつまずきたくは無い。
その二歩目となる試合は、今度の4月29日。いよいよ、ホーム開幕戦である。
関東キャンプでも大変お世話になった、浦和をユアスタに迎える。今季は、震災の事情により、宮城スタジアムが使えなくなってしまった事から、唯一の宮スタ利用の予定だったホーム浦和戦を、ユアスタに変更しての対戦となる。しかし、結果的にホーム開幕をユアスタで迎えられる事になったのだ。これほど有り難い事はない。
今季の浦和には、昨年、ユアスタでたった1人に3失点を喫した、あのマルシオ・リシャルデスが在籍している。エジミウソンも健在だ。今節の川崎戦以上の難敵と考えて間違いない。
それでも、仙台は、勝利を目指して歩みを進めるしかないのだ。
相手に、不足なし。仙台は、満を持して、ホームに超満員のサポーターと、関東キャンプでお世話になった浦和を迎えてのホーム開幕戦を迎える事が出来る。
今日、映像を通して送る事の出来た、最後まで諦めない気持ちと、勇気と、そして元気を。今度は地元で、もう一度送ろう。
ここが、私たちの本当の出発点だ。
今、私たちの立場で出来る、最高で唯一の地域復興支援。それこそが、今まで以上に、愛すべきこの我らがチームの勝利を信じて応援を続ける、その姿勢を、周囲に、そして全国に見せ続ける事だ。
復興が果たされるその日まで、選手と共に、私たちサポーターも、一緒に戦い抜こう。
私たちは、決して1人ではないのだから-。
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