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2010年7月アーカイブ

#少し早いのですが、川崎戦のプレビューを掲載致します。また、レポートの掲載は8月3日(火)を予定しています。予めご了承下さい。

2004年10月23日-。

この日が、仙台の等々力での最後の試合だった。実は、筆者が初めてアウェイ参戦した記念日でもある。この日の敗戦(川崎2-1仙台)を以て、仙台昇格の「数字上の可能性」が消えた日でもあるが、この年に新加入の関口選手の"可能性"に、大いに目を輝かせて見ていた記憶もある。

正直言えば、もう心が折れる直前-。

確かに、内容復調には手応えを感じており、やっている事を信じるに足りるだけの材料はある。関口も先発復帰し、即結果を出した。しかも朴成鎬のアシストは、チームとの連携向上が進んでいる事の証でもある。また、最大級の"要人"であった、広島のFW佐藤寿人になんとか仕事をさせず(それでも、危ういバー直撃はあったが)、彼をも含め、広島の選手に、紙一重で仕事をさせなかった。

J1の舞台で、FW佐藤寿人、ユアスタ凱旋-。

"この刻"が来るのを、彼が仙台を去った時から、彼本人と共に、心待ちにしていたサポーターは多いはずだ。2008年のJ2の舞台で、一旦は彼のユアスタ凱旋が実現はしているものの、広島の事故的なJ2降格により実現したものであり、佐藤寿人、そして仙台にとっても、不本意な形での再会であった。

敗戦の引導に等しい3失点目が決まった時、有り得ない失点の仕方のオンパレードに、「いったい"仙台の堅守"とは何だったのか?」と、自問自答していた。

2試合連続での3失点。しかも今節は流れからの失点は無く、PK・FK・CKを、全て新潟のエース、マルシオ・リシャルデス1人にやられてのものだった。

W杯による中断前から、楽しみにしていた、J1みちのくダービー・山形戦。結果は散々で、試合直前に天童の空に掛かった、"Over the rainbow - 虹の向こう" には、まさしく山形の勝利が存在していた。

仙台としては、山形の劇的な勝利の引き立て役となってしまい、悔しい限りである。

戦前、散々と方々のメディアに捲し立てられた「みちのくダービー」は、なんと仙台の3失点大敗という結果で幕切れとなった。

いったい誰が、こんな結果を予想したであろうか。

W杯ボケ、とまでは言わないが、J1が中断期間に入ってからの二ヶ月間は、長いようで短く感じる、そんな一刻であった。数々のスーパープレー、日本代表の予想外な躍進、耳障りなブブゼラの音に、タコのパウル君の驚異的な的中率。

W杯期間中に行われる、海外チームとの親善試合という事もあってか、その試合の演出は、まるでW杯そのものだった。

選手入場と共に流れてきたテーマ曲、両国国旗の入場とその配置、両国国歌の斉唱など、開催者の「悪のり」とも思える粋な演出に、国際親善試合の愉しさを認識させられた。また、観客席から聞こえてきたブブゼラの音色も、その雰囲気を一押しも二押しもしており、目の前の試合を、うっかり「日本代表戦」と見紛うような雰囲気の中、試合は18:00のキックオフを迎えた。

プレシーズンマッチ-。

何とも懐かしい響きである。いったい、このマッチメークを経験したのは、いつの事だっただろうか。記憶では、2002年の日韓共催W杯に際し、イタリア代表が仙台にキャンプを張った縁で、2003年と2004年にイタリアの2チーム(キエーヴォ2003年、ラツィオ2004年)が相手をしてくれた事があったくらいで、国内のJチームとの開催は記憶にすらない。